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今日、闇バイトに応募して横浜で強盗殺人を行った宝田真月容疑者のニュースのコメント欄を見ていました。
すると、「容疑者の家族もなんだかちょっとおかしくない?」という雰囲気になり、容疑者に同情っぽい人もチラホラいました(実際に家庭環境に問題があったかどうかの話は一旦置いておきます)。
ただ、
- 人殺しは正当化できない
- 亡くなった方の遺族からすると関係ない
- どんな理由であれ人を殺していい理由にはならない
みたいな意見ももちろんあったんですね。
言ってることは正しいんですけど、意見や感情ってもっとグラデーションがあって、「0か100か思考」や「正論思考」では片付けられないと思うんです。
映画『モンスター』のアイリーン・ウォーノスの生涯
最近、娼婦(売春婦)で6人の男性客を殺害した連続殺人犯アイリーン・ウォーノスの実話を基にした映画『モンスター』という映画を観ました。
当然、6人もの人を殺しているわけですから死刑になってるんですけど、この人の生涯は壮絶なもので…
- 彼女が生まれる2ヶ月前に両親が離婚
- 母親に引き取られるがアルコール依存症で育児放棄、彼女が4歳のときに兄と一緒に捨てられる
- 父親は精神病を患い、児童を虐待、13歳の少女への強姦罪で有罪となり、服役中に自殺。アイリーンは父親に一度も会ったことはない
- アイリーンと兄は、母方の祖父母によって育てられるが、祖父から日常的に肉体的虐待(ベルトのバックルで殴られる、ライターのオイルをかけられ火をつけられる)や性的虐待も受ける。祖母はアルコール依存症。
- 11歳のときから、タバコ・薬・食べ物と引き換えに複数の異性と性的な関係を持つ。兄とも同じように関係を持っていた
- 14歳の時に祖父の友人にレイプされ、妊娠。産んだ男の子はすぐに養子に出される。
- 祖母が亡くなった後に高校を中退し、家出。それから、15歳の頃から娼婦として生計を立てる。
- その後も様々な罪を重ね、手っ取り早くお金を手に入れたいのか、レイプされたのかはわからないが、初めて客を殺してから、合計6人もの人を殺害する。
- 参考:ウィキペディア『アイリーン・ウォーノス』
ざっくり書くとこんな感じです。
僕は彼女を悪人と断罪することができなかった
僕は彼女の生涯を見たとき、「やったことは決して許されないけど、同情はしてしまうな」と思いました。
もし、自分が殺された被害者の家族や友達だったなら、彼女の過去がどんな壮絶なものだろうが関係ない。と思ったでしょう。
しかし、被害者やアイリーン・ウォーノスとはなんの関係もない、ただの第三者の僕からすると、「やったことはダメだ」という批判と、「100%悪人だとは言い切れない自分がいるな」という同情が、同時に存在していたんです。
相反する感情は同時に存在しててもいい
アイリーン・ウォーノスだろうが宝田真月容疑者だろうが、殺人犯に対して同情なんかしたら、
- 殺人犯(犯罪者)をかばうのか!
- 家族の前で同じことを言えるのか!
- それでも殺人をしていい理由にはならない!
って正論が飛んできそうです。
ただ、「家庭環境や生い立ちが原因で彼(彼女)を犯罪者に育ててしまったのかも知れない」というある種の“同情”と、「どんな理由であろうが罪は罪、ちゃんと罰せられるべき」という“批判”は同時に存在していてもいいと思うんです。
“同情”と“擁護”は別物
つまり、犯罪者の家庭環境や生い立ちに“同情”しているからと言って、犯罪自体を肯定(擁護)しているわけではないんですね。
僕も、彼らのやったこと(殺人)は絶対に許されるべきではないと思ってますが、もしひどい家庭環境や生い立ちで育ったことが何かしら犯罪に繋がっているのであれば、少し同情はしてしまいます。
まとめ:極端な「0か100か思考」は危険
以上が『別に第三者なら“同情”と“批判”は同時に存在していてもおかしくないよなという話』でした!
ここまで読んできたとしても、「100%そいつが悪いと言い切れないのであれば、それは擁護していることと一緒だろ!」と感じる人もいるかと思います。
もし、殺人犯のやったことに99%悪い、けど1%は悪いとは言い切れない(同情してしまう)と思っていることが擁護だというのであれば、あなたにとっては擁護していることになるんだと思います。
しかし、感情や考え方にはグラデーションがあって、必ずしも100か0では言い切れないと言うことを知っておいた方が良さそうです。
それじゃあ今日はこの辺で、またねっ!