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【Twitterから学ぶ】某社長のツイートから起こった“電車マナー”炎上事件

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2022年11月16日、某社長のツイートが炎上した。

画像参考元:上場企業社長、ツイッターで我が子自慢→会社「電車での迷惑行為を助長」と問題視 謝罪&役員報酬一部返上

要約すると「うちの子が電車で騒いでたら隣のジジイにめちゃくちゃ怒られた、それに対して反論してやったぜ!(えっへん)」みたいな感じだろうか。

このツイートに対して、社長の行動を批判するリプライが続出し炎上、会社からの謝罪後、社長はツイートを削除し謝罪という形になった。

このツイートの発言の何が問題だったのだろうか?それを紐解いていきたいと思う。

このツイート全体から感じられる印象は

「某社長は自分の子供が騒いで他の乗客に怒られたことに対して、謝罪するどころか反論をしているためまったく悪いと思っていない。」

それなのにわざわざツイートするということは、「自分の行動は正しかったんだ、そうだろ?ツイッターのみんな!」とでも言いたげな印象だ。スカッとジャパンのような展開を期待していたのだろうか。

ツイート文章一つ一つから気になったことを書いていきたいと思う。

※ツイート内容は【】&太字で表記で掲載。

①【起業家あるある?】

この部分は何を言いたいのかがまったくわからない、最後に?をつけてはいるものの、まるで起業家みんなが同じ意見かのような言い方は他の起業家に対していい迷惑である。

②【「子どもは泣いたり騒いだりするのが仕事。うちの家では過度には周りに迷惑をかけるなとは躾けていない。子どもの探究心を伸ばしたいから、」】

最初の「子どもは泣いたり騒いだりするのが仕事」の部分、一見正論に見えて「そうだそうだ!」と言いたくなる人もいるかもしれませんが、これは間違っている。

この言葉自体は、公共の場で自分の子供が騒いでいるのにそれを放置している親自身が、「自分の行動を正当化させるために使われる言葉」ではないということだ。

赤ちゃんが泣いたり騒いだりして「周りに申し訳ない」とか「周りに迷惑なんじゃないか」などと思っている親に対して、第三者が「別に赤ちゃんは泣いたって騒いだっていいんだよ、気にしすぎないでね」という意味を込めて使われる言葉である。

もしくは、赤ちゃんが泣いていることに対して怒っている人を、その周りの人が諫めるために使われる言葉である。

いずれにせよ、基本的には騒いでいる赤ちゃん・子供の親自身が使う言葉ではない。

今回のタイミングで、この言葉を使ってしまうと“ただの開き直り”に聞こえてしまい、言われた人は余計に起こってしまうだろう(実際に言われたおじいさんは憤慨したらしい)

ましてや、騒いでいた息子さんは5歳である(騒いでいた子供に罪はない)。

0歳児や1~3歳くらいまでの子で注意されたり怒られたりしてもまだ言っていることが理解ができなかったりする場合ならまだしも、5歳であれば「公共の場では他にもお客さんが乗っているから静かに座っていようね」と言えば理解できる年齢である。

③【見ず知らずのあなたの価値観を我々に押し付けないでほしい】

これはもう完全に“ブーメラン”が脳天を直撃してしまっている。それ以外に言いようがない。

④【当然お爺様は憤慨してましたが、三男を後で「傷ついた?お父さんが守ってあげるよ」と言ったら「全く!!」とあっけらかんとしていました。】

この状況での「守ってあげるよ」というのは、子供に公共の場では過度に騒いでいけない」を教えることである。

もしかしたら、子供の騒いでいる姿や騒ぎ声に激怒し、子供を殴る人もいないとは限らない。

本気で“子供を守りたい”と思っているのであれば、「公共の場でのマナー」を教えることが一番ではないのだろうか。

電車マナー炎上まとめ:おじいさんが怒っていたのは“子供”に対してではなく“その親”

今回のような「騒いでいる子供とそれを注意しない親」という状況で怒られた場合、たいてい怒られているのは“子供”ではなく“その親”であることは、親側は忘れてはいけない。

怒る方も(理不尽な怒りを除き)子供が騒いでいることに対してはそこまで怒ってはおらず、むしろ「赤ちゃんや子供は騒いだり泣いたりすることが仕事」だと思っている可能性だってある。

しかし、ある程度大きくなった子供が騒いでいることを何とも思っていない親に対しては怒る人もいるだろう。

その怒りに対して、「あなたの価値観を我々に押し付けないで欲しい」なんて開き直りは、相手の神経を逆なでするだけである。

今回の親の反論により、おじいさんが怒り狂って子供に殴りかかることがなかったことに安堵し、子供と一緒に「公共の場でのマナーについて」考えることが、子供を“守ること”に繋がるのではないだろうか。