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10年ぶりに米を研いだ。
きっかけは、母親が親戚の葬式に行った返礼品として新潟県産コシヒカリを2kgもらってきたことだった。
母親はかれこれ何十年も無洗米主義なので、研ぐのが面倒くさいからいらないとのことだった。
そういう自分も約10年ほど無洗米主義を貫いているのだが、お米は大好きなのでとりあえずもらっておいた。
それに米どころ新潟県のコシヒカリだ。美味いに決まってる。今晩が楽しみだ。
そうして、久しぶりにお米を研いでみた。
お米を研ぐ用のザルなんてないから、炊飯器の釜に直接お米を入れて研いでみた、米が数十粒流れていった。
このままでは研ぎ終わる頃にはお米がなくなってしまう勢いだったので、野菜の水切りとして使っていた網目のついたボウルで洗った。思った以上にうまくいった。
だがしかし、いかんせん水が冷たい。北海道の1月の水は手に染みる。
このままでは耐えられないと思いぬるま湯で洗うことも考えたが、そんなことはしたことがない。
ただの直感だが、お湯の方が栄養が流れ出してしまう気がした。調べる気力はない。
とりあえず、たびたび手を止め、手が温まってから研ぐことを2~3回ほど繰り返し、なんとか米を研ぐことに成功した。
洗った米を炊飯釜にぶちこみ、水を入れる。
久しぶりの普通米。水の冷たさに苦労しながらなんとか研ぎ終わった普通米。
この苦労に見合う対価が得られるのだろうか。炊き上がりが楽しみだ。
待つこと50分ちょっと、やっと米が炊き上がった。
炊飯器の蓋を開けてみる。ぶわっとした蒸気が顔中を包み込む。
香りは・・・普通の米の香りだ。
見た目は・・・無洗米と特に変わらない。
お米をしゃもじで混ぜてみる・・・やっぱり違いがわからない。
とりあえず米を茶碗によそい、一口食べてみる・・・すると、
「おいしい!」思わず口にしてしまうほどのおいしさだった。
手垢のついた表現だが、“粒”が立っている気がした。
お米の一粒一粒が口の中でしっかりと感じられる、そんな気がした。
無洗米を土鍋で炊いたときの感動を思い出した。
二口目・・・やっぱりおいしい!
三口目・・・おいしい!
おかずとして用意しておいたポークチャップを口に運び、飲み込んだ後、米を口に運ぶ。
「・・・?」
米のおいしさがあまりわからなかった。
さっきまでの感動はなんだったのかと思うくらい、いつも食べている無洗米との違いがわからなかった。
その後も、一口目のような感動が押し寄せることなく食事が終わってしまった。
たしかに感じた、あの“感動”はどこへ行ったのだろうか。
あれは・・・幻だったのだろうか。