【映画感想・レビュー】映画『セッション』才能あふれるドラマーと熱血鬼指導者による狂気のセッション

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映画『セッション』の作品情報

監督デイミアン・チャゼル
出演者マイルズ・テラー
J・K・シモンズ
ポール・ライザー
メリッサ・ブノワ
オースティン・ストウェル
ネイト・ラング
クリス・マルケイ
デイモン・ガプトン
スアンヌ・スポーク
マックス・カッシュ
エイプリル・グレイス
ジェイソン・ブレア
コフィ・シリボエ
カヴィタ・パティル
C.J. Vana
ジャンルドラマ、音楽
製作年2014年
製作国アメリカ
上映時間1時間46分
補足情報原題:Whiplash

映画『セッション』のあらすじ・内容

19歳のアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)は、偉大なジャズドラマーのバディ・リッチのようになりたいという憧れを持ち、アメリカの名門音楽大学・シェイファー音楽院に入学した。
しかし、大きな憧れとは真逆の初等クラスのサブドラマーとしてパッとしない音楽生活を送っていた。
そんなある日、ニーマンが一人教室でドラムを叩いていると、学院最高の指導者と名高いテレンス・フレッチャー(J・K・シモンズ)と出会う。
それがきっかけでニーマンは、フレッチャーが指揮するシェイファー音楽院の最上位クラスである、スタジオ・バンドチームに引き抜かれることとなった。
思いがけない出来事に胸が高鳴るニーマンだったが、初日のレッスンでフレッチャーからの人格否定、罵声、怒号、屈辱的な言葉を浴びせられ続け、泣きながらうつむくことしかできずにレッスンが終わってしまう。
悔しさに心が折れそうになるが、その悔しさをバネに文字通り血の滲むような猛練習を開始するニーマンだったが、これが狂気のレッスンの始まりだったーーー。

映画『セッション』の感想・レビュー・評価

ただのペンギン🐧の映画感想・レビュー&評価
総合評価
 (4.5)

才能あふれるドラマーと熱血鬼指導者による狂気のセッション

ストーリーはシンプルでわかりやすく、ドラマー役のマイルズ・テラーと指導者役のJ・Kシモンズの狂気あふれる演技のイカレっぷりもすばらしく、ラストの9分にも及ぶドラム演奏も誇張なしで思わず息をするのを忘れるほどの圧巻のシーンだった。

ドラマー役のマイルズ・テラーの演技で良かった点は、内気な青年だったニーマンが、フレッチャーの狂気の指導により徐々に自分自身も狂気を帯びていき、汚い言葉で人を罵るまでに人格が変わってしまう様子が見事に表現されていた。

J・Kシモンズ演じるフレッチャーによる、人格否定、侮辱、暴言、罵声、怒声、怒号、パワハラ・セクハラ・モラハラといったハラスメントのオンパレードは見る人の心や精神を鋭く抉ってくる。
まるでフルメタルジャケットに登場するハートマン軍曹を見ているかのようだった。

ここからは若干のネタバレ込みで時系列順に疑問に思ったことをいくつか挙げていきたいと思う。

・ニーマンが参加したレッスン初日で、音程がズレてないのにズレていると叱られ、教室から追い出されたマンガ君ことメッツ君へのひどい扱い

メッツ君が追い出された後にフレッチャーは「メッツはズレていない、お前だエリクソン。だが自覚のなさが命取りだ」と言っている。
つまり、音がズレていてそれを自覚していないエリクソンよりも、音がズレていないのにそれをズレていないとわかっていないメッツ君の方がもっと悪いと言っている。
ただ、フレッチャーにあんなに大声で罵声を浴びせられて「自分で音程がズレてると思うか?」と聞かれて、「いいえ」と答えられる強者はおそらく彼のバンドにはいないだろう。
ただ、そこで自信を持って「いいえ」と言えないやつには価値がないと思っているからメッツ君を追い出したんだろうけど…
本当に彼が不憫でならない。それならズレているとわかっていないエリクソンも追い出せよ。

・主催者ドラマー・タナーの楽譜を隠したのは誰か?

これは、犯人はおそらくフレッチャーなんだろうけど、もしフレッチャーだとしたら何のため?ニーマンを試すため?ニーマンが暗譜してたから良かったけど、暗譜してなかったらどうした?とかいろいろ考えたけど、暗譜してなかったら暗譜してなかったで後から楽譜見つけたとか言えばいいのか。
「自分の楽譜を人に預けるようなやつは信用できない、代わりにニーマン、お前が出ろ」と楽譜をニーマンに渡せば一応丸く収まる。
妄想は置いといて、目を離した10秒ほどの一瞬のスキをついて楽譜を盗んだのか?フレッチャーが忍者のようにこそこそ盗む様子を想像したらちょっと面白い。

・フレッチャーが執拗にスウィングの倍テンを求めた理由は?
ニーマンはもちろん、元主奏ドラマーのターナー、初等クラス時代のライバル・コノリーを呼んで、3人にひたすらスウィングの倍テンを叩かせるシーンがあるが、これには何の意味があったんだろうか?
調べれば調べるほどこの練習に特別な意味はないらしいが、映画的演出なのか、はたまた「部活中に水を飲むな!」みたいな根性論なのか、本当は技術的な意味があったのかはいまだにわからない…。

・ニーマンが起こした事故は結局どうなった?
本編には関係ないけど、ニーマンが起こした交通事故がどうなったのか地味に気になる。
その後に、血だらけで舞台に上がるのを許す(?)のもよくわからなかった。

・ニーマンは結局告発したのか?してないのか?

これについてはたぶん告発したんだろうけど、明言はされていない。
というか、そもそもニーマン以外のバンドメンバーもパワハラ被害にあってたわけだし(マンガ君ことメッツ君とか)、フレッチャーが何年シェイファー音楽院にいたのかはわからないが、もっと早くに大勢からの告発により退学に追い込まれても良さそうな気がするけど(後に、フレッチャーはある人物のパワハラ告発により音楽院を去るが、その告発の犯人がニーマンだと思い込んで復讐を仕掛ける)。


・ラストのJVCフェスティバルでの仕打ちは復讐だったのか?それとも熱血指導一環のだったのか?


フレッチャーは、自身が音楽院を去ることになった原因がニーマンによる告発がきっかけだと思っているため、この仕打ちは復讐にも思える。
ただ、初日のレッスンでフレッチャーはニーマンに向かって「わざと私のバンドの邪魔をするとブチのめすぞ」とは言うくらいなので、自分のバンドや舞台を汚されるのを強く嫌っているように思える。
しかも、復讐前には、全バンドメンバーに向かって「スカウトが来てるから人生を変えるチャンスだ」なんて言いながらも、自らそのチャンスをつぶすような復讐をニーマンに仕掛けている。
正直、ニーマンが告発したかはわからない上に、大舞台を1人の生徒への復讐?指導?のために台無しにするなんて、ただのメンヘラハゲに見えてきて仕方がない。

全体を通してみると面白かったんだけど、上記に書いたようにいくつか気になるところもあった。
「いや、映画なんだからそれくらいは」と言いたい気持ちもわかるけど、フレッチャーの狂気の指導もそれに染まっていくニーマンもすばらしかったんだけど、なんか勢いと熱血感でごまかしているような気もした。

終わり方はあれで良かったような良くなかったような、若干モヤモヤが残る。
ラストシーンも、そこからのエンドロールへの入り方もすごく良かったんだけど、フレッチャーの「1人の天才を生むために、100人の秀才を殺す」的な指導が上手くいったのか、JVCフェスティバル後の後日談・エピローグを軽く入れてくれても良かったような気がする。
「ラストは各々が想像してください!」といった終わり方も理解はできるんだけど、狂気×狂気のセッションの行く末がとても気になる。

ちなみに、原題の『Whiplash(ウィップラッシュ)』は「ムチ打ち症」という意味であり、ジャズの有名曲の題名でもあり、作中で何度も演奏される練習曲の一つ。

日本では洋画の原題を改変して変なタイトルにすることも多々あるが、この映画のウィップラッシュ→セッションはすごくわかりやすくて良い。