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【映画感想・レビュー】映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』吃音で周囲と馴染めない女の子

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映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』の作品情報

監督・脚本監督:湯浅弘章
脚本:足立紳
出演者南沙良
蒔田彩珠
萩原利久
小柳まいか
池田朱那
柿本朱里
中田美優
蒼波純
渡辺哲
山田キヌヲ
奥貫薫
ジャンルドラマ、青春
製作年2017年
製作国日本
上映時間1時間50分
補足情報原作マンガ:押見修造『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』のあらすじ・内容

高校1年生の大島志乃(南沙良)は、吃音で上手く言葉が話せないことで周囲と馴染めずにいた。
そんなある日、ひょんなことから校舎裏で1人で歌っているクラスメイトの加代(蒔田彩珠)と出会い、2人は一緒に過ごすようになる。
ある時、加代からバンドを組んで学校の文化祭に出ないかと誘われ、しぶしぶ承諾した志乃だったが、人前で歌う経験を通して、志乃の中で少しずつ何かが変わっていく。
しかし、自己紹介の時に志乃をからかったクラスメイトの菊地(萩原利久)が、強引に2人のバンドに加入することになり・・・。

映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』の感想・レビュー・評価

ただのペンギン🐧の映画感想・レビュー&評価
総合評価
 (3.5)

吃音で周囲と馴染めない女の子


吃音のせいで周囲と上手く馴染めない高校1年生の大島志乃が、偶然出会った同級生の加代との交流を通して、少しずつ変わっていく話。
原作は、押見修造さんの同名漫画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』です。

舞台の年代ははっきりとは描かれていませんが、中学生でまだ携帯を持たずに公衆電話から話していたり、音楽雑誌の感じからすると、1990年前後くらいでしょうか。
この仮定が正しければいまから20~30年くらい前の世界なので、母親、教師、生徒、志乃自身も吃音への理解がまだない感じがすごく伝わってくるのが生々しかったです。

母親が催眠療法なんて怪しげなセミナーに志乃を誘ったり、教師は緊張してるからとか馴染めてないからそんな話し方になるなんて根性論っぽいことを言うし、生徒も志乃の話し方をバカにして笑ったりするところとか、見ていてきつくなる演出が多かったです。

吃音に関しては自分は当事者ではないですが、主演の志乃役の南沙良さんの好演もあって、吃音で苦しんでいる人の悩みや葛藤が伝わってた映画でした。

しかし、この映画で気になった部分があって、それは、加代と菊地のキャラクター設定です。

同級生で友人の加代は、漫画では言葉数が少ないが物事をハッキリと言うタイプで、見た目は金髪か明るめの茶色でおでこ全開で、言動からも見た目からも他人に興味がない一匹狼で強気な感じな女性に描かれています。
これは、自分の思っていることをちゃんと伝えられない志乃との対比になっていると思います。

ただ、映画の加代の見た目からは強気な感じと言うよりはひねくれた感じの印象を受け、さらに言動に関しては、ちょっと一言多い感じの意地悪な印象でした。
もちろんキャラクターからは、実は優しい性格をしているというのは伝わって来ますが、漫画に比べると強気な性格ではなくひねくれているよりの性格に見えました。

どちらかと言えばジャンルは違えど志乃側のキャラクターと言う感じで、志乃と加代の対比がハッキリしてない感じでした。

あと、男の子の菊地が原作に比べてかなりウザいキャラクターになっているのがノイズだったように感じます。
このことについて、湯浅監督のインタビューを見てみると「彼は志乃がせっかく見つけた居場所を壊してしまう異分子ですから、その面での存在感を大きくしたかったんです。」と語られていますが、原作通りのキャラでも十分に居場所を壊してしまう異分子感は出ていたんじゃないかなと思います。

周囲と上手く馴染めない志乃にとっては、加代ちゃんは大事な友達であり、大事な存在であり、2人の空間と言うのは志乃が唯一と言っていいほど落ち着ける居場所であるのは明白なので、ウザい・ウザくない関係なく新たな人物、しかもちょっとウザい男の子が来る時点で、もう十分、志乃からすると2人の居場所をぶち壊しに来た異分子だと思うんです。

別に原作厨ではないですが、原作のままでも志乃にとっては彼は異分子なのにも関わらず、菊地のキャラを強くし過ぎて彼が悪目立ちしていたせいで、吃音の志乃の存在感が弱くなってしまい、結果として、物語全体の方向性がバラバラになってしまった印象を受けました。

もちろん、菊地のように空気が読めない人もいますし、志乃が吃音で悩んでいるだけじゃなくて、誰もがこういう悩みや葛藤ってあるよねってことを伝えたいんだとは思いますが、それならこの原作じゃなくてもいいような気がします。

僕は原作者ではないので、映画と原作で意図が違う!というのも変な感じですが、自分が漫画から感じた印象と映画から感じた印象がかなりズレていた菊地の存在がとてもマイナスな意味で気になりました。

途中まではマンガの内容に沿っていていい感じのストーリー展開でしたが、菊地が入ってきたところで変な感じに話がこじれていった印象です。

あとは、あのラストの改変はちょっと疑問が残りました。
漫画のラストでは、志乃が母親になっても吃音はなおっていないことと、志乃、加代、菊地の3人で映った卒業写真があって、映画のラスト後も3人は仲良くしていることがわかります。
映画のラストでは、3人がそれぞれ1人で過ごしている感じです。

湯浅監督のインタビューを見てみると「現実問題として南沙良に母親役を演じさせられるか、という懸念がありました」「ただ元どおりの仲良しになりました、というのはやりたくなかったんですよ。人生って簡単にうまくいくことばかりじゃなくて、ラストカットの後にもそれぞれの人生が続くんだ、という思いを込めてます。」と言っています。

改変した意図はわかるんですけど、それだと加代が1人で文化祭で歌った「魔法」の歌詞が全く志乃に伝わっていないように思えます。
加代が1人で作成した「魔法」の歌詞は、志乃と加代の悩みを詰め込んだ“2人のための歌”と言っても過言ではありませんし、みんなに聞かせる以上に、志乃に聞いてもらいたかった歌だと解釈しています。
歌がヘタな加代が大勢の前で一人で歌い、それに答えるように上手く喋ることができない志乃が大勢の前で自分の気持ちを一生懸命に伝えようとする一連の流れがあって、仲直りするまでがラストだと思います。

なので、あの3人が別々に過ごすラストだと、加代の歌唱シーンなんだったの?という感じでした。
原作やラストの改変自体はなんとも思いませんが、この映画のラストの改変だと、そこら辺の辻褄が合わなくない?と思いました。