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『対峙』の作品情報
監督・脚本 | 監督:フラン・クランツ 脚本:フラン・クランツ |
ジャンル | ドラマ |
製作年 | 2021年 |
製作国 | アメリカ |
上映時間 | 1時間51分 |
補足情報 | 原題:Mass |
『対峙』のあらすじ
アメリカのとある教会で慌ただしく部屋の準備をする職員の女性。
今日、この部屋で二組の家族による何らかの会合が行われようとしていた。
そこにスーツを着た女性が現れ、部屋のチェックをする。
上階のピアノの音をやたらと気にし、用意されていた食事は必要ないと告げる。
職員の女性が“あの出来事”という言葉を発し、スーツを着た女性が窓に吊るされた学校の課題で作られたステンドグラスに難色を示す。
一組の夫婦が重々しい雰囲気で教会へと到着し、少ししてからもう一組の夫婦が到着するーーー。
『対峙』のキャスト
- リード・バーニー(リチャード)
- アン・ダウド(リンダ)
- ジェイソン・アイザックス(ジェイ)
- マーサ・プリンプトン(ゲイル)
- ブリーダ・ウール
- カゲン・オルブライト
- ミッチェル・N・カーター
『対峙』の感想・評価
ある2組の夫婦による対話
ある2組の夫婦による対話をほぼワンシチュエーションで描いたドラマ映画。
加害者の両親と被害者の両親の4人の演技がすごくて、どのように話が進められるのか、この対話の結末はどうなのかに終始引き込まれる。
あらすじを見てたから対話の理由がわかってはいたけど対話に入るまでの演出がとても良かった。
まずは、教会が映し出された後に職員の女性が登場し、今日なんらかの会合が行われることがわかる。
そこにきっちりとした格好の女性が登場し、部屋の確認、真ん中に大きなテーブルが1つと四方に置かれた4つのイス。
そのイスの置き方から対等な立場の4人が何かの話し合いがするかと思いきや、女性がイスを向かい合わせで2つずつ置き直すことで、2人組同士での話し合いと判明。
さらに上階のピアノの音を気にし、職員の女性が用意した食べ物を並べないよう指示したことで、軽い感じの雰囲気ではないことがわかる。
その後、“あの出来事”という言葉が登場し、それが6年前に起こったことがわかり、窓に吊るしてある学校の課題で作ったステンドグラスに難色を示したこと、学校で何か大きな出来事が起きたことが判明。学校ではなくわざわざ教会で話し合いの場を設けると言うことは、学校側が対処できない問題なのか?
外には1組の夫婦が車で教会の前に来るが、まだ入りたくない様子なので心の準備や整理が必要なほど重々しい雰囲気の会合だということがわかり、教会の遠くに止めた車内では話し合いが行われ、“何か”を言う覚悟で来ていることが判明。
この時点で話し合いの場に登場する4人のうち2人が夫婦だと言うことがわかるが、学校で起きた出来事と思われるのに子供は不在。ある出来事が6年前に起こったことが確定なので、子供がここに来れないほどの重傷を負ったか亡くなったのだろうか?
この夫婦が教会の用意された部屋に行き、間もなくしてもう一組の夫婦が登場、その夫婦も子供を連れていなかったので学校で起こったことなのに両親同士で話し合い?どちらの子供も来れない状態か亡くなっている?
そして、後から来た夫婦の女性が手作りの花を相手方の女性に渡そうとするが、受け取りを拒否。
これにより、何かしらの事件に巻き込まれた子供の両親と言うよりは、先に来た夫婦の子供が被害者で、後から来た夫婦の子供が加害者という構図のように見える。
全部書くと大変なので映画の内容はこの辺で、ここから対話が本格的にスタートするが、“ある出来事”とは学校で起こった銃乱射事件のことで、お互いに息子を亡くしたことが判明する。
被害者遺族側は、最初は責めるつもりで来たわけではないという前提で出来るだけ冷静に話を進めていくが、最終的には加害者家族が息子の異常性を見逃していたのではないか、何か異変に気付いたときにその都度子供と向き合って対処していればこんな悲惨なことが起きなかったのではないか、自分の息子が死んだのはあなたたちがあなたの息子の異変に気付かなかったからではないかと責める。
実際に息子を殺した相手の息子は既に死んでいるので感情の矛先がなくなってしまい、ただただやり場のない怒りをぶつけるしかない。
それに対し加害者家族側は、学校に馴染めなかったり、いじめが起きたり、パソコンやゲームに夢中になったりしていたが、話をしたりカウンセリングに連れて行ったりとその時できる限りのことはしてきたと主張。
これは別に開き直っているわけではなく、もっとこうすれば良かった、もっとああしておけば良かったということは終わってからは何とでも言えるけれど、その時その時にすべてのことがわかっていたわけではなく、自分たちも初めての状況で戸惑いながらも手探りで解決策を模索してきたという主張。
本人たちも一種の被害者ではあるんだけど、一番の被害者である被害者遺族に向かってはそんなこと言えずにいるのと、結果的に息子が大量殺人を犯してしまったので、自分たちのやってきたことはすべてダメだったということになるかも知れないが、それを認めてしまうともう心が持たないという感じで、なんとか自分たちの正当性を主張して心を保っている感じが見ていてやるせない気持ちになる。
被害者遺族は、加害者家族を責めても何も変わらないことはわかってるんだけどそうするしかなくて、加害者家族は、過去に起きてしまったことをもうどうすることが出来なくて、相手の殺された子供たちを元に戻してあげることもできないから、周囲から後ろ指をさされながら、ただただ被害者遺族の悲しみや怒りを受け止めるしかない。
銃社会のアメリカだからこそ起こってしまう凄惨な事件、その後に残された加害者家族・被害者遺族側の対話を、ワンシチュエーションで描き切った良い映画だったと思います。